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「800字文学館」 体験記・紀行文

釜ヶ崎の今昔

大月 和彦

立ちん坊人生味なもの 通天閣さえ立ちん坊さ
誰に遠慮がいるじゃなし・・ここは天国釜ヶ崎

 30余年前、大阪府庁で仕事をしていた頃この歌が流行っていた。
 天王寺公園の近く、通天閣が目の前に見える一劃が、簡易宿泊所の集まっている釜ヶ崎地区。東京の山谷より大きい日雇労働者の町だった。
 当時2万人近い日雇労働者がここに集まり、ドヤ街に寝泊まりして日々の仕事を得ていた。
 行政側はここを「あいりん地区」と呼び、地区の真ん中に職安、無料職業紹介所、住宅、医療センターなどが入る総合センターを建て、一、二階に二千人ぐらい入る事ができる寄場というだだっ広い屋内広場をつくった。
 毎朝5時ごろ、労働者が集まってくる。建設・運輸業などの手配師と呼ばれる求人担当者がライトバンやミニバスで乗り入れる。
 日当や就労場所などの条件を書いた紙をフロントガラスに張ったり、手にかざしたりして「行かんかい」、「あと一人」など大声で呼びかける。
 必要な人数が集まると車に乗せて現場に向かう。仕事にあぶれた者は職安で失業手当を受け取る。
 労働力を売り買いする市場(いちば)がそこにあった。

 先日、当時の職場の仲間が集まった時、釜ヶ崎を歩いてみた。立派だったセンターはすっかり汚れ、くたびれた姿で残っていた。
 街角には住人が所在なげにたむろしている。午後まだ早い時間なのに一杯飲み屋はにぎわっていた。寄場には紙袋やバッグを持ったホームレスが坐り込んでスポーツ新聞を広げたりしている。昔と変わらない独特のにおいが充満していた。最近は求人が減ったうえ、生活保護を受ける人が多くなったので求職者が激減しているという。

 ドヤ街もさま変わりしていた。簡易宿伯所は瀟洒なビジネスホテル風になり、「冷暖房・シャワー・サウナ完備、和室S1300円より、洋室2000円より」とあった。スーツ姿の若者4,5人が屈託なく出てきた。後で聞くと就職活動のため大阪に出て来た学生がよく利用しているという。

(10・8・12)

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