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「800字文学館」 体験記・紀行文

旅日記 -江差・松前と近江商人-

野瀬 隆平

 小学生時代を札幌で過ごし、その後もしばしば北海道を訪ねていましたが、江差・松前の地に入るのは、今回が初めてでした。JRの安い切符を利用して、二泊三日の旅に出たのです。江戸初期から北前船で栄えた所だとは承知していましたが、町の発展に近江商人が大きく寄与していたことは初めて知りました。

 北前船は上方と蝦夷地の交易に活躍し、和人の生活基盤を作ったのです。内地からは北では得られない生活物資を運び、帰りは昆布、鰊などの海産物や、檜などの木材を運んで帰りました。そこで主役を演じたのが近江商人でした。よろずの物産を扱う問屋として商売を発展させ、今でも大きな商家が残っています。船が海から直接、家の裏につき、産物が効率よく蔵に仕舞われた様子がうかがえます。
 松前では、文化財保護委員も務めているという案内人から、当時の話を聴きました。この人は、もともと東京の人なのですが、この地の歴史に興味を抱き、移り住んだという本物の松前ファンです。話によると、 蝦夷地に来た近江商人の出身地は、近江八幡とその北にある琵琶湖に面した薩摩、柳川という町だったとのこと。なんだか九州を連想させますが、まぎれもなく近江の地名で、現在は彦根市の一部として地図にものっています。
 一般的に近江商人は、商売する土地の政治には係らないものなのですが、松前の場合は特別で、当地の役人との関係を深め、蝦夷地の物産を扱いました。これは、「無石の藩」といわれるように米が獲れず、代わりに藩は蝦夷地の物資を扱う権利を幕府から与えられていたことに関係しています。実務を担う商人がどうしても必要だったのです。後に、商人たちは自ら漁業経営にものりだします。これが、いわゆる松前藩特有の「場所請負制度」と呼ばれるものです。

 松前町は近江八幡市と姉妹都市の関係を結び、滋賀県の人たちが毎年訪れて県人会を開いているとのこと。このように江戸時代からの交流が今でも続いているのです。

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